イエス・キリスト


紀元1世紀初頭にパレスティナで活動し、宗教的教えを説いた人物である。母語はアフロ・アジア語族の西アラム語もしくはヘブライ語といわれる。アラム語とヘブライ語、両方を話すことができたという説もある。 この名は、キリスト教等において、固有名詞に近い形で把握されているが、元々のギリシア語では、「メシア(救世主)であるイエス」、または「イエスはメシアである」という意味である。イスラム教では対応する名として「マスィーフ・イーサー」と呼ぶが、この場合、固有名は「イーサー」のみで、「マスィーフ」はメシアに当たる称号である。 日本では、プロテスタントの「イエス・キリスト」が一般的に用いられている。 キリスト教においては、東方諸教会、正教会、カトリック、聖公会、およびプロテスタントの多くにおいて三位一体の教義の元に、神の子である救世主として(一部の宗派では、単性論と通称される、神としての属性のみを強調する立場で)信仰の対象となっており、他の教派でも最高の預言者、開祖とされている。イエスの言行を記した福音書を含む『聖書』は世界で最も翻訳言語数が多い歴史的ベストセラーであり、音楽・絵画・思想・哲学・世界史などに測り知れない影響を与えた。 イスラム教においてはマルヤムの子イーサー(マリアの子イエス)として、ムハンマドに先立つ偉大な預言者の一人とされる。現在では消滅した世界宗教マニ教においても、釈迦、ザラスシュトラ(ゾロアスター)と共に、マニに先行する真理の開示者・神から派遣された預言者として崇拝されていた。西方グノーシス主義においては、イエスはアイオーンであり、悪であるこの世に落ちて苦しむ霊を救うため、プレーローマの永遠世界より訪れた真実開示者(救世主)とされた。バハーイー教やシーク教においても、偉大な預言者であり聖者として高い尊敬を集めている。
仏教の開祖釈迦や、古代ギリシアの哲人ソクラテス、儒教の始祖孔子などとならび、伝統的な民族宗教における人間把握のありかたに反省を加え、後に世界宗教となるキリスト教の基礎を築き、人類の精神の歴史において大きな影響を与えたと一般的に理解されている。 キリスト教はイスラエルの民族宗教であるユダヤ教の改革運動であり、それは後にキリスト教の教義面での重要人物となるパウロにおいてもほぼ同様である。ユダヤ教とは別の宗教だと言う認識は、第一次ユダヤ戦争とその敗北後のイエスが最も厳しく批判したファリサイ派主導によるユダヤ教の再編の中で1世紀末頃に確立されたと考えられている。ローマ帝国治下にあって、社会秩序を紊乱する邪教として迫害されたが、紀元4世紀頃には地中海世界全域に広まって世界宗教となった。それと共に、ローマ帝国は寛容令・公認のミラノ勅令を出し、更に帝国の国教とした。 しかし、『新約聖書』において、イエスの目的として「それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです」(『ヨハネ福音書』3章16節)など数箇所にわたって記述されているが、これらの言葉が具体的に何を意味するのか、死後の問題の解決か、この地上にあっての精神的解放・救いか、イエスは文字通り、「不滅のいのち」を説いたのか、地上における良き人生の比喩を語ったのかについて、さまざまな見解が生じた。またイエス自身については、神であるとする考えや、卓越した人間であるとする考えや、「神であって同時に人間」でもあるなどと様々な神学的解釈が存在した。これらにより、キリスト教における多数の分派や、イスラム教をはじめとする諸宗教でのイエスの位置付けや解釈の多様さが生まれた。東方諸教会、正教会、カトリック、聖公会、プロテスタント(ルター派、カルヴァン派、メソジスト、バプテストなど)、ドゥホボル教徒、その他多くの教団、宗派を生む事になる。
「イエス・キリスト」とは「メシアとしてのイエースース」「香油を注がれ・聖化された者たるイエースース」を意味する。キリスト教における救世主キリスト・イエスを必ずしも意味しない。「香油を注がれた者(メシア)」とは、ユダヤ民族の歴史において、伝統的に、「聖化された王」の称号である。イスラエルとユダの両王国が滅亡してより後、ユダヤ民族はディアスポラの民となり、かつての栄光ある「統一イスラエル」の成立と神権王国の再現を夢見た。このようにして「統一神権王国」を再現する者としての「メシア」への期待が、ユダヤ民族の歴史において、徐々に大きくなっていった。イエスをメシアと考える者は、「メシア・イエス(マーシアハ・イェホーシューア)」と彼を呼び、これをギリシア語に訳して「イエースース・クリストス」とした。 当時のユダヤ人にとって、メシアとは「イスラエルを救う聖なる王」であり「救世者・救世主」の意味ではなかったが、新約聖書でイエスは無差別平等の民族を越えた父なる神の愛を説き、十字架によるイエスの処刑後、徐々に教えが広まり、キリスト教は世界宗教として成長していった。
初期キリスト教徒にとってイエスは優れて神の子であった。1世紀末頃の『ヨハネ福音書』にはイエスを「子」、すなわちそれ自体神性をもった存在とする見方が登場する。イエスの神性は以後次第に大きな問題となり、325年の第1ニカイア公会議における論争において、父と子と聖霊は三位一体であるという教理が正統であると宣言される。そして「神の子(テウー・ヒュイオス)」がキリストの称号として確立するのである。
様々なイエス・キリストの把握がある。この項目では、イエス・キリストを、救世主であり、父と子と聖霊を三位一体とみなすキリスト教における把握と、それに関連して、歴史的なイエス・キリストの把握像を概観する。イスラム教やユダヤ教における位置付けや把握は、それらの宗教での説明に譲る(キリスト教でも、三位一体教義を認めない宗派があるが、これらも、ここでは広義のキリスト教と考える)。
歴史学等では、歴史上の人間としてのイエスを指す場合、「ナザレのイエス」と呼ぶことがある。これは、『福音書』において、イエスが「ナザレ人」と呼ばれているためである。 科学的な見地から、復活や昇天を否定し、あくまで人間として、イエスが歴史的にどのような人物であったかを厳密に検証していく試みが、多くの学者によってなされている。 西ヨーロッパの宗教画やキリスト彫像は北方ヨーロッパ系の白人の痩せた男性のイメージで作られるのが一般である。しかし現在ではコーカソイドではあるが中近東から地中海沿岸一帯にかけて分布する、いわゆる地中海人種であったと想定されており、北方ヨーロッパ系の形質の身体であったとは考えにくい。
グノーシス主義では、天地を創造した造物主を劣悪な神と見なし、これとは別に善なる「至高者」が存在するという神話をもち、キリスト教的グノーシス主義では、至高者の下にある諸の神的存在(アイオーン)の中から、人間世界に派遣された救済者・真実開示者が歴史上の「イエス」であると考え、イエスは、人間に内在する「至高者の要素」を認識すること(グノーシス)による救済を説いたと信ずる。この意味で、イエスはやはり「メシア」(救世主)である。 イエスは、至高者から生じたアイオーンであり、霊なる存在で、劣悪な造物主の手によるこの世の肉体とは本来無縁であるが、人間に働きかけるために、仮に肉体をまとって、この世に下ってきたという仮現説(ドケティズム)の立場でイエスの存在を理解する。ただし、「地上のイエスの振る舞いは、人間の目にそのようにみえただけの幻の如き存在である」、あるいは「肉体をもたないイエスが受難することはなく、十字架に掛けられたのは別人であった」などという、イエスの人間化を完全に否定する「狭義の仮現説」がある一方、「人間に働きかける手段として、人間の肉体を受けた」として「受肉」「受難」を部分的に認める立場を含む広義の仮現説もあり、イエスの受肉に関する理解はグノーシスの各派によって異なる。 イエス・キリストが語り手や主人公となるグノーシス文書が多数あり、原始キリスト教は、これらを異端の書だとした。更に、異端文書廃棄令を出し、意図的にこれらの文書を破壊した。このため、グノーシス文書の多くは湮滅した。しかし、20世紀の『ナグ・ハマディ写本』等の発見により、『トマスによる福音書』、『フィリポによる福音書』、『マリアによる福音書』、『エジプト人福音書』など、湮滅と破壊を奇跡的に免れたグノーシス文書の内容が知られるようになった。
マニ教は、ヘレニズムにおける文化的・宗教的なシュンクレティズムにあって、ユダヤ教、ゾロアスター教、西方グノーシス主義、初期キリスト教、大乗仏教などと相互作用しつつ、並行して展開したグノーシス宗教である。マニ教においても、イエスは、ザラスシュトラ、仏陀にならぶ預言者として高い尊敬を受けている。
ブラヴァツキー夫人が創始した神秘思想体系である神智学では、イエスは「古代の英知の大師(マスター)たち」の一人とされ、聖白色同胞団と結び付けられている。こうしたイエス観はニューエイジ思想にも受け継がれている。
(wikiから引用)
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